われわれが宮城県山元町で拠点として使っているコージーハウスは、台風19号による水害災害を受けて主に首都圏から集まるボランティアの活動拠点となりました。
発災直後から、ここに集まった支援物資をお隣の丸森町の被災地に届けたり、仲間がボランティアセンター立上げの際の宿泊に使ったりと、様々な形で機能しました。
特に丸森町では役場が水没して、当初社会福祉協議会さんの身動きが取れなかったことから、東日本大震災の復興で尽力したメンバーがまず民間でボランティアセンター開設の準備に当たり、後に社協さんに引き継ぐという手順を踏むことで、スタートのつまづきを未然に防いだという経緯があります。
われわれも開設準備中のボランティアセンター(町が管理していたスーパーマーケットの跡地)に出向いて資材搬入を手伝ったり、寄付された物資を届けたりしました。
また、ほとんどの道路が寸断されアプローチが難しかった耕野地区の友人と連絡を取り合い、唯一使える福島県側からのルートを教えてもらって、当時不足していた一輪車を届けたのもこの頃の事でした。
まだ一般ボランティアの受付が始まっていなかった時期、こうした初動ができたのも東日本大震災を経験してその中でノウハウを培ってきた山元町とその仲間たちだちからこそ、と思います。